医師をやっていると、たまに言われる事がある。
お医者さんですか、大変なお仕事だとは思いますが、やりがいがありますね
と。
同業者の医師も、雑誌や学会誌などで
医師は人から感謝され、やりがいのある仕事です
とか、書いちゃう。
どうやら、医師と「やりがい」という言葉は密接にくっついているようだ。
そしてどうも「良い意味で」使われている、ポジティブなニュアンスで使われている事が多い気がする。
僕はこの状況に違和感を感じる。
「やりがい」の本質
そもそも「やりがい」とは何だろうか。
僕が思うに、やりがいとは「自分が人間社会に与える影響力」の大きさだと思う。
例えば会社経営者は、多くの社員を抱えている。
ひいてはその社員の家族の生活さえ、自分の経営手腕によって影響される。
また自社の製品やサービスが世間に広く渡っているほど、それらが「人間社会に与える影響力」は大きい。
会社経営者だけに限らず、対象が県であれば県知事、国であれば総理大臣や大統領。
あらゆる組織のトップは「やりがい」のある職業だと思う。
逆に、代替可能な職業は「やりがい」が少ない。「自分が人間社会に与える影響力」が少ないからだ。
例えば、引き合いに出して申し訳ないが、コンビニバイト。
彼らの仕事は代替可能であり、「自分が人間社会に与える影響力」はあまり大きくない。
彼らは失敗すれば、確かに数十万円、もしかしたら数百万円の損失をお店に出す、程度のことはするかもしれない。
しかしながら、やはり経営者や総理大臣に比べれば、その「自分が人間社会に与える影響力」は小さく、あまり「やりがい」のある仕事とは言えないと思う。
医師の「やりがい」とは、責任である
医師は、自分が結果に与える影響力は莫大である。
医療現場における結果とは、すなわち
- 生命
- 健康
- 体の機能
である。これらが損なわれる事は、生命として危ぶまれる。
医師はその「結果」に対する影響力が莫大であるので、僕の中のやりがいとしての定義である「自分が人間社会に与える影響力」は大きい。
つまりやりがいがある。
成功すれば人から感謝される。
失敗すれば遺族を悲しませたり、本人を絶望させる。
やりがいとしての「自分が人間社会に与える影響力」は、プラスに働けば感謝に変わる。
一方でマイナスに働けば、怒りや絶望、悲しみに変わる。
職業としての医師に「やりがい」がある、という事の本質は、仕事の結果によって人間社会が大きく左右される、「責任のある仕事」という事に他ならない。
医師が「やりがい」に頼らないといけない不自然さ
冒頭で述べた
お医者さんですか、大変なお仕事だとは思いますが、やりがいがありますね
や
医師は人から感謝され、やりがいのある仕事です
という発言や文書に、僕が不自然さを感じるのは、2つの理由がある。
- やりがいの本質である「責任」について言及していない
- やりがい=良い事、みたいになっている
からだ。
まず、やりがいにしかフォーカスされていないのは不自然だ。
やりがいとは責任と表裏一体、セットなのに、ネガティブな印象を与える「責任」という言葉が、やりがいと一緒に使われる事はあまりない。
当然ながら、責任のある仕事をして「良い結果」を出すには相当な努力が必要だ。
しかし責任のある仕事ほど、悪い結果を出すわけにはいかないから、高い精度での成功が求められ、伴って求められる努力の量も増える。
つまり
お医者さんですか、責任が大きく失敗が許されない、失敗しないために多大な努力が求められますが、成功した時のインパクトが大きく「やりがい」のある職業ですね
と言うのが正しいと思う。
次に、やりがいがある事=良い事、みたいになっているのが不自然だ。
やりがいがある、つまり責任のある仕事をするのが好きな人もいれば、嫌いな人もいるはず。
自分の一挙手一投足で、他人様の命や健康、体の機能が変わってくる責任に、とても耐えられないと言う人だって、いるはず。
そんな責任をセットでもらうくらいなら、「やりがい」を放棄したい、そういう弱い人間だっているだろう。
医師とはそれくらい責任のある仕事だと、やっていて僕は思うが、それにもかかわらず「やりがい」に頼って、あらゆるメディアが医師という職業を煽ったりするのは、僕は不自然だと思う。
つまり
お医者さんですか、責任が大きく失敗が許されない、失敗しないために多大な努力が求められますが、成功した時のインパクトが大きく「やりがい」のある職業で、責任の重さに耐えられる人で仕事内容を楽しむ事ができれば良い職業ですが、責任の重さに耐えられない人にとっては大変なお仕事ですよね
くらいの表現が、真実をバランス良く反映していると思う。