まがりなりにも、医師としてある程度の年数を働いた。
嬉しい事もあったし、悲しい事もあった。達成感に満ち溢れた事もあったし、無力感に苛まれた時もあった。
色々あったが、結局のところ残る感情は負の感情ばかりだ。
こんな仕事をいつまで続けるんだろう
とか
毎日同じ事の繰り返しで、正直つまらんなあ
とか。
医者という仕事は一般的にみんなから尊敬され、憧れる職業なだけに、現実とのギャップに閉口してしまうけれど。
本当は声を大にして言いたい。
勤務医は割に合わないし、何より飽きた。
勤務医は割に合わない
何より思うのは、勤務医という仕事は本当に割に合わないという事。
労働時間は長く、睡眠時間も足りない。
ミスをすれば患者さんの命や健康に直結する。訴訟リスクも大きい。
血液や汚物による感染、鋭利な機材などによる怪我のリスクもある。
自分は休みでも、自分の患者さんは常に怪我や病魔と闘っている。その事を思うと、正直な話休日だって100%リラックスできない。
ましてや旅行なんて、気分にもなれない。
それが24時間365日続く。
医師とパイロットは似て非なるもの
よく医師という仕事と比較されるというか、似たような内容だという事でパイロットが挙げられる。
確かにパイロットは多くの人の命を背負っている。でも仕事が終わって自分が休みの時、その不安は無い。
でも医師にはその不安がある。
そんな労働環境で働いて、時給に換算したら2000円〜3000円程度だ。
勤務医なんてそんなもんだ。
労働時間が長く、結果的に下手に給料が高い分、払う税金だってバカにならない。
この労働環境で、この収入。あんまりだ。
逆に一般募集したら、誰かやりたいという人はいるのだろうか。
僕は疑問である。
勤務医に飽きた、自分の人生を生きる
勤務医という仕事は、一体どういうイメージを抱かれているのだろう。
医療ドラマ風で言えば、よくわからない患者を一瞬のひらめきで診断、神の手でオペ、みたいな感じだろうか。
勤務医という仕事は、そんなエキサイティングでキラキラしたものではない。
最近はEBMという、まあ過去のデータから得られた知見でわかった事実に基づいて、医療をやりましょうという動きが盛んだ。
例えばある病気に対して治療AとB、どちらが良いかわからない時代は、おそらく医師の裁量で治療法を決定していた。
しかしながら今の時代は、基本的には答えは決まっている。
ステージいくつの○◯癌なら、治療法Aが最も生存率が高い
というデータが蓄積してきたのだ。
そのデータをエビデンス、つまり証拠、裏付けとし、それに基づいた医療、という意味がEBMだ。
つまりデータに基づいた医療が提供され、医療を受ける側の人間からすれば医師の腕に関わらず同じ結果を得られるわけだ。
このEBMは、患者の健康を第一に考える医療では非常に合理的で、当たり前の結果だと思う。
しかしながら、同時に医師の仕事における裁量を奪っている。
昔ならば治療Aか治療Bかで悩むところを、そのステップが省略される。
これにより医師の仕事は機械的になり、単調で、思考の介在余地が少なくなった。
検査だって発達して、病気を見つけるのがより機械的になったと思う。
診断、治療、全てが機械的になった。
自分でもたまに思う、医師という名札をつけたロボットに過ぎないのではないか、自分は、と。
正直なところ、機械的な仕事をする勤務医という仕事に、もう飽きた。
まあ今の時代、医師に限らずどんな職業の人も職業を変えたり、会社を変えたりするし、医師だって自由にすれば良いと思う。
何も昔のように、1つのことに全力を投球する事だけが正解じゃない。
もちろん1つに集中する医師も必要だ。今後の医療を発展させるのは彼らだ。
しかしながら、僕のようにそういうメンタリティを持ち合わせていない医師が、例えば医師以外の仕事についたり、プラプラとフリーで自由に人生を謳歌したって、良いと思うのだ。
飽きたから仕事を変えました。
でもいきなり辞めるのが怖いので、とりあえず非常勤になって週3働いて、週2は別の事始めます。
良いじゃないか。
ある意味これだって、職業選択の自由の範疇だろう。
ここに書いてある事が正解だったのか間違いだったのか、それは自分次第だと思う。
選択が悪いのではない。
選択した後の行動が間違っていれば、失敗に終わる。
その行動をどう取るか、どれくらい取るか。それは自分次第だ。