もう昔のことだが、僕の研修病院でもドロップアウトした初期研修医がいた。
厳密には仕事に中々出てこれなくて、普通に臨床医として働き続けるのは難しそうだった。
医師は医師免許を取得するまで最年少で24歳、初期研修を終えるまで最年少で26歳。
医師になるまでに、莫大な時間を投資している。
そういう時間を投資した上で就いた職業から、ドロップアウトするということは勇気がいる事だと思う。
ドロップアウトする本人も、続ける事ができるのなら続けたいと思っているに決まっている。
だからといって無理に仕事を続けて、本当に心や体を壊してしまうのは、僕は1番それがやってはいけない事だと思う。
医師はドロップアウトしても良い
サラリーマンが転職するように、医師だって嫌だったら仕事を変えても良い。
別に医師免許を取得したからといって勤務医として働いて臨床を続けなくてはならない決まりなんて無いし、ましてや医師として働く事さえ強制されるべきではない。
職業選択の自由という権利が、民主主義社会では認められている。
単なる「合わなかった仕事を辞めて転職する」というだけの事なのに、なぜか医師の世界では「ドロップアウト」というネガティブワードが蔓延している。
ドロップアウトという言葉の意味が、職業選択の自由という権利を行使した結果の「単なる辞職や転職」の事を指し示すのならば、それは全くもってネガティブな言葉ではない。
医師がドロップアウトする事で、その人の人生が輝く事だってあるはずだ。
しかも今の時代、本当に選択肢は多様だ。
例えば静岡医師バイトラボという、静岡専門のバイト紹介サービスがある。
僕は静岡にたまにバイトに行く事があるのだが、都内からもアクセスが良く、医師のバイト業界としてはラストフロンティアだと思う。
医師がドロップアウトする事は自分のためであり家族のため
そして、医師という人の中にも家族がいる人もいるだろう。
医師が医師としての働き、社会的責任を果たそうと躍起になるのはわかる。それだけ社会に求められる存在だからだ。
しかしながら、医師が医師である前に、1人の人間であるという事を忘れてはいけないと思う。
医師が自分のQOLを考えるという事は、間接的に家族のQOLを考えるという事になる。
自分が疲弊する事で家族が疲弊しているのであれば、自分が楽になれば家族も楽になる事ができる。
医師の「ドロップアウト」という選択は非常にポジティブな選択になるだろう。
医師がドロップアウトする事は社会のため
一見すると医師がドロップアウトするという事は、社会に悪影響を与えるような気がする。
フルタイムでキツい仕事を続け、社会に求められる声に答え続ける。ご立派な事だ。
医師としてのプライドも許さないだろう。
しかし、フルタイムでキツい労働を5年続けて倒れて医師を完全にやめてしまうよりも、ドロップアウトして楽な仕事を30年続け医師を完全にやめない、こちらの方が社会のためになるのではないだろうか。
人生トータルとして、医師としての役割をどれだけ社会に還元できるのか。
この観点からも、医師のドロップアウトは有効だ。
ドロップアウト後、医師として楽な仕事をするという選択
では具体的に医師としてドロップアウトする、つまり楽な仕事に切り替えるにはどうすれば良いか。
それに関しては下記記事を参照。