医局に入っていると、本当に様々な嫌な事に遭遇する。
多くの場合、各々が自分の利害を優先させる事で生じる不和が、めぐりめぐって自分に伝わってくるというパターン。みんな自分の利害をキチキチっと計算するの、お上手なんだよ。
それくらい自分の利害に注力して、あらゆるリソースを自分のためだけに使わないと、医者になんてなれないのかもしれないけれどね。ある意味生存者バイアスなのかも。
まあ他にも単純にわかりやすい嫌がらせだったり、明らかなパワハラ傾向の強い上司からの圧力だったり、色々ある。
そういう頭の切れる、自分の利害を考えるのがお上手な人が何十人何百人と集まって、上下関係が厳しいとなれば、そりゃあフラットで風通しの良い組織になんてなるわけがない。
医局という組織は、そういう意味で必然的に軋轢が生まれる組織なのだと思う。
医局が自分の肌に合わない、うんざりだと感じた時
僕が医局にいた時、自分の肌に合わないなと感じたのが、やたらと同調圧力が高い事。
みんなで1つのチームだ!お互い助け合っていこう!
みたいな。
確かに何か困った時、助けてもらったら自分も誰かを助ける、これは人間として当たり前の事だと思う。お互い様だ。
しかし医局という組織では、ある程度仕事ができる人にばかり仕事が降ってきて、そうでない人達はラクをする。つまり全然助け「合い」になっていないのである。
完全な一方向性。一定の人が、一定の人を助けてばかり。
これを綺麗な言葉で「僕らはチームだから!」みたいな詭弁を並べて、その不平等を正当化しようとする。
不満は出るものの、表立っては出しにくい。よくできたルールだと思う。
ましてや日本のように、同調圧力に弱い集団生活を営んできた人種の国では、よりその力は強い。不満があっても、そこから逸脱する事は何か危険な感じがするし、日本で最も恐れられる「仲間はずれ」の根源的な恐怖を感じる。
僕は、この風潮が本当に合わない。
もう誰も助けてくれなくて良い。自分のケツは全部自分で拭く。だから誰も助けを求めないでくれ。
そう思いながら、なんだかんだで医局に奉公し、お偉いさん方をラクさせて働き続けた。
本当にうんざりだ。
医局の上司と関わるのがうつ、つらいという人へ
そんな「謎の助け合い」チームである医局において、最も面倒なのが人間関係。
別にそれほど時間や労力のようなリソースを取られたりするわけではないので、実害としてはそれほどなのだが、とにかく面倒くさい。
そういう「助け合い」の一環として、様々な仕事や雑務が「お願い」という形で降りかかってくる。
その「お願い」は、人間関係を内包しているので厄介なのだ。
例えば上司Aの「お願い」が立て続けに自分にやってきて、それに応えていると「アイツはA先生派」みたいに周りから見られる。そんなつもりではないのに。
このように、あらゆる「助け合い」と「お願い」が、人間関係の嗜好性を含んでいる(と少なくとも周りは思う事がある)ので、非常に面倒くさい。
僕の知り合いは、そういう人間関係から派閥競争に巻き込まれ、自分がついていた(?)先生が権力を失脚してしまい、陰湿なイジメを受けうつになって医局を辞めた。
彼は今、おそらく医者をやっていない。
一体何なのだろう。医局という組織は。
医局をやめると、こういうネチョネチョした人間関係から解放される。
例えて言うなら、夜行バスに乗ってて歯磨きが出来ずに降り立った都会でその日の夜久しぶりに歯磨きをした感じに近い。
夜行バスに乗った事が無いからわからない?
まあ何が言いたいかと言うと、とにかくスッキリするという事。
あらゆるモヤモヤの原因の多くは、人間関係が根幹にある。
そんな時代も、あったねと…クソみたいな医局を抜けて
今振り返ると、散々こき使われたのに感謝という2文字は頭に思い浮かぶ。
もちろん中には良い人もいるのだ。後輩思いの上司がいて、愛をもって自分の知識や経験を授けてくれる。それに応えれば、喜んでくれる。
ただし感謝の2文字は、そういう一部の先生に対するものであって、医局全体に向けたものではない。
医局を辞めてよかったかと言われれば、そこは即答で答えられる。イエスと。
いざクソみたいな医局を抜けて、感謝の次に出てくるのは
あんな時代もあったねと、いつか笑って話せるわ
という、中島みゆきの「時代」がピッタリだ。
ムカつく事もあるが、感謝も存在する。うつで辛くなる時もあるが、嬉しい時もある。
そんな激動の時代を過ごした医局時代を振り返ると、何もしなかった人生よりは良かったと感じる。何かをやった、何かをやろうとしたという意味では、自分の人生に少し意味を付け足す事ができた時間だったのかもしれない。
もう絶対戻らないけれど。